『バトル・オブ・ザ・セクシーズ』 感想

バトル・オブ・ザ・セクシーズ』感想

鑑賞日:令和元年6月21日

評価(5段階):4.5

 

監督は「リトル・ミス・サンシャイン」のヴァレリー・ファリスジョナサン・デイトン

脚本は「スラムドックミリオネア」のサイモン・ボーフォイ

音楽は『ムーンライト』『マネー・ショート 華麗なる大逆転』のニコラス・ブリテル

 

【感想】

<前置き>

 田中芳樹の『銀河英雄伝説』が面白いのは、敵対する2大陣営の双方に主人公級キャラ(ラインハルトとヤン)を配した上で、それぞれの視点から【不愉快な味方と清々しい敵】を描いていく基本構造が完璧だから。

 タブル主人公としてラインハルト、ヤンどちらも善玉として描きたい。だが、物語の推進力としてどうしても悪役は必要。

 必然的に物語上の悪役は【不愉快な味方】として召喚される。逆にいえば、物語上の悪役を【不愉快な味方】に押し付けることができれば、立場は違えど相互に尊敬しあう敵同士のさわやかな闘いを描きつつ、【不愉快な味方】から物語の推進力を得ることができる。できるのだが...

 言うは易く行うは難し。思想信条も立場も違う(その対立がテーマにもなっている)二人がそれでも相互に敬意を抱きつつ闘う、という構造設定がまず難しい上に、【不愉快な味方】の不愉快ぶりの加減も難しい。

<脚本>

大傑作。本作の脚本は果てしなくうまい。超絶技巧。

 サイモン・ボーフォイはまさしく上述の物語構造にそって、1973年のビリー・ジーン・キングvsボビー・リッグス戦を脚色する。

 両陣営にきちんと【不愉快な味方】を置きつつ、主役であるところのビリー・ジーン・キングとボビー・リッグスの関係性は互いの敬意に基づく清々しいものとして描く。

 この基本構造をかっちり組んだ上で、スポーツバトルものとしての必須要素をもれなくいれつつ、ビリー・ジーン・キング、ボビー・リッグス双方の私的個人(もしくは家族の一員)としてのドラマも展開させた上で、クライマックスのキングvsリッグスの決戦であらゆる要素がきれいに収束する。神業。

 

<役者>

 ビリー・ジーン・キングを演じたエマ・ストーン 、 ボビー・リッグスを演じたスティーヴ・カレル、どちらも名演であった。

 特に今作のボビー・リッグスは物凄く難しい役どころで、セリフだけ抜き出すととんでもない男性至上主義者に見えてしまう。

 けれどかれが女子テニス界の女王/ビリージーンキングの実力を正当に評価し、恐れてもいるということは彼がギャンブル依存症(リスク依存症)であると描写されていることを補助線に引けば、視聴者にも理解できるようになっている。

 要はボビー・リッグスはリスクある賭けを猛烈に欲している。そんな彼がビリージーンキングとの対決を熱望するのは、本人の言動とは裏腹に、ビリージーンキングには負けるかもしれないと思っているからだ。

 そして彼は賭け金(負けた時のリスク)が増えれば増えるほど燃える男だ。ビリージーンキングを『女性だから勝てっこない』と挑発し、キングvsリッグスの試合を『男性の女性に対する優位を証明する戦い』であるかのごとくショーアップしたのも、賭け金を吊り上げる為だ。でかいもの(男性優位の価値観を打破/維持できるかどうか)を賭けて、そのプレッシャーを楽しみたかっただけなのだ。

 だから、彼がどれだけビリージーンキングをはじめとする世の女性たちを事あるごとに馬鹿にしても、それは本心ではないと脚本構造上は言い切ることができる。

 ただ、脚本上はそうでも、演者によっては、ボビー・リッグスの印象がもっと悪い方向にぶれることはあり得た。スティーヴ・カレルは人の良さと幼さと依存症故のどうしようもなさを巧みに使い分け、『憎めない男』としてボビー・リッグスを演じきった。お見事でございます。

 

<音楽>

ニコラス・ブリテル作曲のBGMもこれまた最高で、観た後すぐにapple musicでサントラをダウンロードした。

『ムーンライト』『マネー・ショート 華麗なる大逆転』も観たことはあるのだが、劇伴の印象がほとんどない。改めて聞き直してみようか...

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『PSYCHO-PASS サイコパス』Sinners of the System Case.3恩讐の彼方に_ 感想

鑑賞日:平成31年4月14日

映画館:TOHOシネマズ お台場シネマメディアージュ

評価(5段階):★★★

 

【感想】

 今作は日本国外が舞台ということもあり、そのストーリーにシビュラシステムがほとんど絡んでこない空前絶後(?)の珍しい一品となりました。

 ストーリーは流石ベテラン脚本家だけあって、手堅くまとめられており、なにひとつ不満はないのですが...  私にとってPSYCHO-PASSの魅力の9割は舞台装置であるところのシビュラシステムそれ自体にあるので、シビュラシステムなしだとどうしてもテンションは下がってしまいます。

 

 ただ、PSYCHO-PASS世界の未来日本が、「(シビュラシステムのおかげで)アジアで唯一国内秩序の維持に成功した大国」として極東情勢に介入しまくっている、というこの構図は、いかようにも料理ができる絶妙な設定なので、今後ともストーリー展開に国外勢力とのかかわりを組み込んでいってほしいなと思っています。

 

 

 

 

 

『けものフレンズ2』 雑感 

けものフレンズ2』雑感

-はじめに

 『けものフレンズ2』は意図していたのか、そうでないのかはともかく「野心作」ではありました。

 1期(無印)の作風がたつき監督の個性(及びそれを支えるヤオヨロズの制作体制)あってのものだったにも拘らず、いろいろな事情で制作陣の変更が必要となった時点で、2期を成功させることはかなりの難行事となってしまいました。成功が難しいなら、せめて傷を最小限に抑えようとするのが人情というもの。2期がひたすら無難なつくりになっても、誰も責めなかったでしょう(たぶん)。

 けれど2期の制作陣は果敢に攻めました。1期が12話かけて表現したテーマや価値観やキャラ同士の関係性etc..を継承せず、それへのオルタナティブを掲げて、1期としっかり向き合ったわけです。何故そんな冒険に出たのか。監督や原作者の純粋にクリエイターとしての希望が貫徹されたのか、それともIP展開戦略に絡む幾多の制約からやむなくこういう形になったのか。真相はともかく、制作陣を変えた上、リスクを取って冒険した結果得たものと失ったものとがあるわけですから、(比較すれば失ったもののほうがはるかに多い気がしますが...)、ここは前向きに得たものを拾っておきたいと思って、この記事を書きました。

 

...と大上段に構えてしまいましたが、白状すると、6話のくたびれたOLみたいなかばんさんにくらっときてしまったので、せめてそこだけは褒めておきたい、という極私的な動機で書いているだけです。

 

ー青春アニメとしての『けものフレンズ2』

 2期6話のかばんさんに惹かれるのは、そこに青春映画や青春小説で描かれる「過ぎ去った青春を苦味とともに回顧する」タイプの感傷を感じられるからです。

 2期で描かれる時代(1期からどれほど経過したのかは不明ですが)においては、1期(無印)の頃には確かに存在したかばんとサーバル二人の互いに対等で相手への敬意に満ちた理想的な関係性はいつの間にか失われています(もっといえばかばんと「ボス」、かばんと「その他のフレンズ」との『一対一』で『対等な』関係性も失われている)。

 そしてその関係性がなぜ失われたのかの理由が明かされないままかばんとサーバルの再会は(サーバルは再会とは認識していませんが...)終わる。1期の主人公とその相棒を破局させた上、その理由すら開示しないというのは、なかなかにアクロバットな作劇です。

 ですがその結果として、1期(無印)からの視聴者は『かつて同じクラスで一番の人気者だった同級生に何年かぶりに再会したが、往年の輝きをすっかり失って、日々の生活に埋もれている』のを観たかのような気持ちになります。なぜ輝きを失ったのか、これまでの間に一体何があったのか、自分には分からない。今更聞きだすつもりもない。心をよぎるのは、確かにあの頃の彼(彼女)は輝いていた..という甘美な記憶と、その輝きは永続しなかった、やっぱり刹那の輝きだったんだ、あんな輝きやっぱり続くはずないよな...という納得と一抹の失望が入り混じった感傷。これです。この感傷によって、2期6話が青春アニメとして立ち上がってくる。

 2期6話はまず表層的には、かばんさんがサーバルと再会し、再び別れる、その邂逅のなかでかばんさんがサーバルに向ける感情にこそ、青春アニメ的な感傷が埋め込まれているのですが、上述のように、そんなかばんさんを観る視聴者がかばんさんに抱く感情にも、同様の感傷が含まれるという二重構造になっています(十中八九まぐれだと思いますが...)。

 2期6話のかばんさんは、「最も輝いていた時代を通過してしまった人」として、長いエピローグを送っている人として、やたらとリアリティがありました。ああ、こうやって、淡々と日常を送っているんだなぁ...、このまま平穏に研究所で生活して、淡々と歳を取り、淡々と老いていくんだ.. そういう意味でのリアリティがありました。引退した元英雄感というか。そんな元英雄のもとにかつての親友が偶然やってくる。かつて自分の親友だった彼女は今は別の仲間と楽しく旅をしており、自分のことを全く覚えていないと思っていたが、どうやら僅かながら記憶を残しているようだ。親友と別れる間際、それに気づいて、少しだけ明るい気持ちになる。明日からまた頑張ろう...

 2期6話最終盤のかばんさんのサーバルたちを見送った後の一連の所作には、サーバルと旅をしたあの輝かしい日々を惜しみつつも、過去を振り切って、現在を生きようという前向きさが感じられて、何度見てもよい。

 

ー終わりに

 上記のとおり、けものフレンズ2期6話は意図せざる結果として、上質な青春アニメと同様の感傷を手に入れた。1期(無印)の主人公のバディを破局させるという(恐らくは制作初期の段階で決定されていたであろう)大方針から、いくつもの偶然と多くの人の努力を経てたどり着いた輝き。

 けものフレンズ2全体の評価としては、どうしても残念な結果になってしまいますが(時間が無かったのでしょう。明らかに脚本が練れてないと思います)、こういう特殊な制作事情でもなければ実現しなかったであろうシーンもありますから、そういったところを拾って少しでも楽しんでいけたら良いですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

『PSYCHO-PASS サイコパス』Sinners of the System Case.2 感想

PSYCHO-PASS サイコパス』Sinners of the System Case.2を観たので感想を残しておきます。

 鑑賞日:平成31年3月1日 映画館:上野TOHOシネマズ 評価(5段階):★★★★

 

 3月1日鑑賞時、TV版1期と2015年公開の劇場版は視聴済、TV版2期は未視聴の状態でした。その後、本記事作成までに、TV版2期も視聴しました。

 

以下ネタバレを含むので、ご注意ください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

------------ここからネタバレ--------------

 「創造主亡き後もその使命を全うせんとする"AI"」、がとにかく好きなので、今作の物語の全貌が見えた瞬間に陥落しました。しかも、創造主の人格が再現されているはずなのに、そのわりにはAIの言動が創造主の認識・意志を超越しているように見える...何故?からのどんでん返しには、かなりテンションがあがりました。

 また、須郷徹平と彼の生前の師(のモーションを完璧にトレースしたAI)との直接対決も熱くて良かった。総じてPSYCHO-PASSの世界設定を活かしたクライムサスペンスとして大変良質でした。

 

 

 

 

 

 

 

『PSYCHO-PASS サイコパス』Sinners of the System Case.1

PSYCHO-PASS サイコパス』Sinners of the System Case.1 を観たので、感想を残しておきます。

 

鑑賞日:平成31年2月1日

映画館:池袋シネマサンシャイン

 

評価(5段階):★★★

 

2月1日に鑑賞した時点では、TVシリーズ1期と劇場版は視聴済。2期は未視聴の状態で鑑賞。

その後、本記事作成までに、TV版2期も視聴しました。

 

現時点での考え方とか感じ方を残しておきたいので、表現は選びつつ、思うままに書いていきます。

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ここからネタバレ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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とりあえずOPは神でした。BOOM BOOM SATELLITES中野雅之さんリミックスの「abnormalize」はかっこいいし、映像とのマッチングも抜群。久々にストレートにかっこいいOPを観ました。

 

 ストーリーも悪くなかったですが、敵役が思想犯になり切れていないところが若干の減点ポイントでしょうか。敵役の悪事であるところの、「潜在犯に放射性廃棄物を処理させる」という政策ですが、22世紀の日本において、廃棄物の処理なんてロボットにやらせる仕事では?。農業すら100パーセント無人化されている世界で、放射性廃棄物だけ人間にやらせる意味がよく分かりません。繊細な作業が要求されるからでしょうか。それとも高濃度放射線でチップとかが壊れるからでしょうか(これは防護スーツかぶせればよい気もする)。今回の敵役はシビュラユニットなので(シビュラ全体の意志というよりも、経済担当のシビュラユニットの個人的なやらかし、みたいな感じ?)悪事に合理的な意味がないといけないので、上記ロボットにやらせればいいじゃん問題はちゃんとした説明がほしかった点です(もしかして、見落としてただけで実は説明されていたんでしょうか?)。

 ただ、上記点に説明がついたとしても、今作の敵が思想犯として弱いのは変わりません。今回のサンクチュアリ計画を否定しても現行のシビュラシステムの思想的優位性にはひび一つ入らないからです。今回の陰謀はただ単に、シビュラシステムとそれに基づく隔離・更生制度を目的外の政策に悪用する輩がいただけのこと。しかもその不正は厚生省公安局によってすみやかに発見・摘発されて、首謀者のシビュラユニットはお叱りまで受けている。もし一連の経緯を公開すれば、むしろシビュラシステムの健全性を宣伝するようなものです。今作の霜月美佳があれほど迷いなく行動できるのも、敵役がシビュラシステムの正統性に喧嘩を売るような思想犯では"ない"からです。最後に主犯格のシビュラユニットを叱り飛ばすことまで含めて、今作の霜月美佳の行動はすべてシビュラシステムの権威と健全性を回復するものでありまして、さすがはシビュラの申し子ですね。

 ということで、思想犯としては弱い今作の敵役ですが、その分気楽に観れます。60分の脚本って難しいので、むしろ今作のような敵役の設定は正解だったかもしれません。

 

 

 

 

はじめに

齢29になり、過ぎ去りし時を回顧することも多くなってきたが、生来のものぐさ故、過去の記録というものがほとんど残っておらず、回顧の手掛かりがなく寂しい思いをしている。そこで今日から日記がてらブログを更新してみようかと思う。継続を最重要目標とし、とにかく気楽にやっていきたい。